2015年6月10日水曜日

昭和の時代



記:わかめわかめ



黒電話・・ロンパー重ムさんの仰る通り、ダイヤルかけてそれが戻ってくるまでの間に、今掛けた
番号を忘れちゃう 笑 有る有る~!! それで、次の番号も解らないから、結局、もう一度最初
からやり直すんですよね。 その当時は、平気で出来たダイヤル回しも、たま~に今やろうとする
と、陥りやすい行動 笑!! 少し待って、落ち着いて「電話をかける」ということに集中できない
気ぜわしさや、心の侘しさでしょうか・・・トホホ
今のせめてもの努力は短縮を使わず、毎回フル番号を掛けているって事くらいでしょうかね 汗


人のため・・結局のところ私たちは「自分が一番主義の人間」という動物だけど、中には「他人のた
めに」 「他人の幸せのために」行動される人もいらっしゃいますね。
きらびやかな功績を残す大物人物もいらっしゃいますが、私の身近にもいらっしゃいます。
「義理の母」。 決して彼女の行動は派手ではなく、当たり前のように、さり気なく他人のことを考え
行動される。それが、1度や2度の自己満足な行動ではなく、控えめこの上ないくらいの控えめな行
動で、いつまでもずっと他人の事を考えている。私も真似て彼女のように懐の大きな女性になりた
いなと・・いつも思う


名店街の買い物・・懐かしいなぁ 名店街・商店街。ワタシの幼少時には商店街と名店街が両方有った。今ではシャッターが下りたところの方が多いけれど、当時は、ずらりとお店やさんが並んでいた。お店の人は皆優しくて、誰もが外を遊ぶ子供や、学校帰りの学生たちそして、通勤帰りの大人たちを優しく迎え入れていた。そして、見守っていてくれた。近所同士で、お互いを確認しながら生
活をしていた安心感。。有りましたね!!


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「大きな山」 昭和の時代の日本はそういうイメージがある
重たく1個1個が大きな岩で積み重ねられて出来た「大きな山」
どんなに優秀な意見にも動じず、何も変えようとしないし、変わらない
(少し極端だけど・・)

平成の時代の日本は、柔らかな岩が、小さくたくさんあって それで出来た「柔軟な山」
色々な意見や話を取り組むようになり、若者の斬新な意見を取り入れる企業や社会が存在
してきたり、何かを変えようとしている 

時代の変遷を感じる

「大きな山」を動かすのは、ひとりの努力では到底無理
理解のある柔軟性・行動力・分析力などを伴ったリーダーの元に、団結を組んで動かす

「動かない大きな昭和の山」と「柔軟な平成の山」の両方見ているので
ちょっとずる賢く生きちゃったりしているけれど

基本的なところはやっぱり、「自分以外の者・物への優しさと感謝」なんだと思う
「大きな山・昭和の時代」がくれた優しい心を、「柔軟な山・平成の時代」にも生かして
「大きな山・昭和の時代」を知っているからこそ、「柔軟な山・平成の時代」の人々にも伝えて

生きたいな





                「落し物の子供の帽子」と「誰かの優しい心」




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