狭苦しい空間に閉じ込められ 地味なズボンや上着の裾が目の前に広がり 自分達とは無縁の心地悪い香りが漂うなか 心ここに有らず。 足を上下させながらドアを空く瞬間を待つ・・・ エレベーターのドアの隙間がほんの少し開いただけで心はもう 外に飛び足していた。 雑踏と共に 眩しくて 暖かな日差しが額を照らし コンクリートの上に立った足で 広くて澄み切った空を見上げていた。 奇妙な毛が付いた 大きくてどっしりとした硬い乗り物 楽しげに青い空の中を回る不思議な椅子 何処に行くのかもわからないレールの上の電車・・・ そして笑顔溢れる人々・・・ まさに 昭和の楽園の様な場所でした。
デパートの屋上たるものがそんな場所でした。今はどんな場所になっているのでしょうかネ・・・ これだけ コンピューターゲームは 電子機器が一般的になった時代 最初の1-2回は楽しみかもしれないけど そのうち お家の涼しいところで誰にも感傷されずPCゲームの方が断然楽しい時代になってしまったのでしょうか? 下手したら 私達 昭和の大人の方が現代の子供達より屋上に上がる ワクワク感があるのではないでしょうか 足をバタバタさせて・・・?
私どもの時代は 子供であれ 大人であれ その場所に身を置くだけで お金があろうと なかろうと 人がやっている事を興味深く見たりして 楽しめた様に思えます。下手したら隣の見ず知らずの
子供に話しかけながら・・・頷いて。決してお金を持っていない自分を被疑することなどなかった。日本人としての心が 薄れて 物質社会アメリカナイズされてしまった現代では その姿も大きく変化したに様に思えます。6人に1人が貧困の子供の中 そのような一見幸せそうな空間 見る人間によって 全く逆の修羅場に映るのでしょう。そんな現実社会の中でもそんな子供達の心を否定し 自分に都合がよい神話や迷信は否定しないで追い続ける。
恐らく 昭和の初期と言うのは屋上と言う場所がなく 高度成長時代に合わせるかの様にビルの上に出来上がった正に昭和が作った場所なのでしょう・・ 特に狭い国土の日本では 他の国とは比較にならない程の存在感をもった場所だった様に思います。狭い事務所の中から 息抜きに上がった屋上 学校で嫌な奴に 嫌な思いをされたときに上がった屋上・・・ 何かに戻るチャンスをくれた。
世の中の倫理(英語で言うEthics)は本当に強者に都合のよい様に変化します。自分達は 何万人と言う人間を戦争と言う手段で殺害しても 3人を自爆テロした悪とする。強者の快適さを追及するため 原子力利用を 良しとして 将来的に人類を破滅させる放射性廃棄物を平気で生み出す。
弱差には容赦なく現実を押し付け 個人の意思表示の道を閉ざす社会が現代なのです。勝ち続ける事こそが 唯一の幸せだと・・・
日本人が今後正しい舵取りをして行く事を心から望んでいます。それでも 最近 強者に踏み潰されながらでも そんな動きが 日本人の心が見えるような気がします。
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