2017年4月12日水曜日

基準になる事柄 Part 1

笑ったり 怒ったり 幸せに感じたり 不幸に感じたり 私達はこんな感覚を感じて生活しています。 生まれたばかりの赤ちゃんも同様に 笑ったり泣いたり 忙しく生活して
いるようです。恐らく 人間は生まれ持って定義付けられた基準のようなものをもっているのでしょう。それよりもプラスに働けば『笑』 マイナスに働けば『泣』といったように・・・・ 自分に与えてくれる 生を継続するエネルギーをもらう事柄が最も彼らにとっての力の源になるのは疑いない事実ではないでしょうか。 

それで 彼ら(赤ちゃん)は 親に素晴らしい物を与えてくれる。それによって私たちは恐らくそれを求めて子供たちに無上の労力 能力を注ぐのでしょう。その 大きな一因に 泣きから笑に移る笑顔と言う変化に エネルギーがあるようにさえ思える事があります。笑顔になってもらうために 人は邁進するのかもしれません。恐らく 人はそういった基準をどんな生物に対しても持っているようにさえ思えます。社会構造が複雑になればなるほど(経験を得れば得るほど)自分だけ得る事だが唯一 美徳に錯覚するのかもしれません。

私たち企業も 色々な価値判断によって邁進しております。企業である以上 大きな要因の一つは金銭的な利益に集約されるのかもしれません。金銭自体に実はこれと言った基準もなくアメリカナイズざれた 利益追求だけが唯一の道の様に見える最近の風潮ではないでしょうか。 私達もそう言った渦の中に身を投じている以上 その中で生きて行かなければなりません。しかし そんな曖昧で物的な事柄を唯一基準にしたくないと考えております。

何かを与えて 何かを与えてもらう。喜んで頂き 笑顔を見せて頂く。そんな本来人間に備わった姿に基準にも物差しを当てられたらと考えています。それではすべてを捨て去って全を与え尽くしてくださいと言う声も聞こえる様にも思える。しかし全てを捨て去るよりももっと 幅広く 自分たちを利用して 永続的にこの作業を続ける方が より良い
幸福があると考えています。そしていつしか 正しい真の基準と言う物差しの幅が広がり 基準すら論ずることが成り立たない そんな時が訪れる事を望んでおります。





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